• はじめに

都路の星降る里に「虹色の湖」はあったのか?

 人類がこの地球上に生まれた時から、歴史は数限りない移動=移住によって塗り替えられてきた。創成期から暫くしてアフリカの森を飛び出した人類は、気の遠くなるほどの時を経て世界各地に移動=移住した。それは民族単位のこともあれば、部族単位、集落単位のこともあったことだろう。

 人はなぜかくも移動=移住を繰り返すのか? その歴史を紐解けば、そこには確かな理由が存在している。人口爆発があり、飢饉があり、気候変動があり、天変地異があり疫病があった。欲望と野望を求めて戰(いくさ)があり、征服するものと征服されるもの、追うものと追われるものが移動を繰り返してきた。

 人類史などと、そんな大風呂敷を広げる必要などないかもしれない。私たちの暮らす、この小さな列島の中においても、移動=移住によって作られた歴史は多い。その昔、大陸から渡ってきた人たちによってもたらされた文化と文明は、この国の社会を大きく変えてきた。

 ほんの100年近く前まで、私たちの社会は飢餓と隣り合わせの時代であったことを考えれば、移動=移住の大半は生き延びんがための食を求めてのものだった、と言っても過言ではないだろう。だからこそ、海人たちは魚影を求め列島の弧に沿って移動し、陸人たちはタネ撒く大地を求めて移動した。

 近代国家の成立にともない移動=移住はこれまでとは比較にならないほどに大規模になる。同時に、より広範囲になった。満蒙開拓にしろ強制連行にしろ、移動=移住の大規模化と広域化は中央集権化された国家権力によって行われてきた。国策としての産業が起きれば、人はそこに群がり、国策として産業が閉じられれば、人は跡形もなく次の地へと移動=移住していく。

 前世紀の後半に始まる高度経済成長は飢餓を駆逐し、飢餓からの解放を求めた移動=移住に終止符を打つ。しかしその一方で新たな問題も突きつけた。物質的な豊かさと氾濫する情報の中での管理社会の出現は、人々の心の中にこれまでとは全く異なる疎外感を産みだしてきた。
 現代を生きる私たちの足元は、奴隷時代のように重たくて錆びついた鉄の鎖で繋がれてはいない。しかし、心の中はどうだろう? 目に見えない鉄鎖によって十重二十重と縛られてはいないか?

 人はそれぞれの時代に即した移動=移住を繰り返す。いつの時代においても、その時代の社会のあり様とその社会に生きる個人の意志とのスクランブルが新たな移動=移住を作り出す。逆に言えば、移住を対象化・相対化することによって、その時代の社会と個人のあり様が浮き彫りになるというこだろう。

 都路に移り住んだ人たちにとって、都路は果たして「幸せの棲む虹色の湖」だったかは不明だが、ただ一つ確かに言えることは、移住というこれまでの都路には縁もゆかりもない人々が描き出す都路像は、都路が未来に向けて守るべきものを教えてくれる一筋の光になることはまちがいないだろう。

 小難しい理屈などどうでもいい。さぁ、この地に移住してきた方々が生きてこられた人生の生の声に、ほんの少し耳を傾けてみよう。その時、私たちは無いもの探しをすることではなく、有るもの探しをすることの大切さに気付かされることだろう。都路の宝は、遠い先にあるのではなく、私たちの手が届く足元に転がっているのだから。

(文:田嶋雅已)

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